富士篤実展終了いたしました。
2013年 05月 23日
先日の日曜日をもちましてご好評頂きました富士篤実展「LOST LAST BOY」終了いたしました。
今回の絵画展におきましてはギャラリーの壁面に直接描くという展示を行ったわけですが、その行為は単純に絵を描くというだけにとどまらず、空間を創るというところにまで自然に波及していくものだったと思います。富士氏の作品は、これまでも自身のファンタジーを具象的・具体的なモチーフとして描きつつも、その画面の構成要素を見るに、彼の作家としての態度が決して閉じられた自己表現に終わるものではなく、変化を拒むことなく運動していくことが明らかだったと思います。そんな富士氏故に今回の10:06での展示は、様々な状況に左右されつつも、左右されることによってこそ見いだされるものを追求した喜びの表現だったのではないかと思います。
ギャラリーの壁面は白く塗り直さねばなりませんので、彼が描いた世界はもはや実際には存在しません。そのことは今回の展示の前提としてあったわけですが、富士氏の頭には「消えることで残すことが出来ないだろうか」というのが念頭にあったようです。彼の展示を観た者として何が残ったのか、あるいは産まれたのか、白い壁を見る度に思考が促されるようです。
今回の絵画展におきましてはギャラリーの壁面に直接描くという展示を行ったわけですが、その行為は単純に絵を描くというだけにとどまらず、空間を創るというところにまで自然に波及していくものだったと思います。富士氏の作品は、これまでも自身のファンタジーを具象的・具体的なモチーフとして描きつつも、その画面の構成要素を見るに、彼の作家としての態度が決して閉じられた自己表現に終わるものではなく、変化を拒むことなく運動していくことが明らかだったと思います。そんな富士氏故に今回の10:06での展示は、様々な状況に左右されつつも、左右されることによってこそ見いだされるものを追求した喜びの表現だったのではないかと思います。
ギャラリーの壁面は白く塗り直さねばなりませんので、彼が描いた世界はもはや実際には存在しません。そのことは今回の展示の前提としてあったわけですが、富士氏の頭には「消えることで残すことが出来ないだろうか」というのが念頭にあったようです。彼の展示を観た者として何が残ったのか、あるいは産まれたのか、白い壁を見る度に思考が促されるようです。
by tenroku1006
| 2013-05-23 03:16